2015-08-18

Inside Out



ピート・ドクター監督「インサイド・ヘッド」


(※以下ネタバレ含みます)


「トイ・ストーリー」から続く流れがあるので、ピクサーの冠が付くだけでハードルが上がります。

ピクサーでなければそこそこ楽しめる中身だったとしても、ピクサーであれば許されないぐらいのハードルがあるわけです。
期待して面白くなかったら嫌だから期待しないようにしよう・・・と思ってても、心の奥底では期待が高まってしまう。


超えてきますね~。

ピクサー長編アニメーション20周年記念作品ということで気合いは入ってたでしょうが、こうも見事に超えてくると怖いぐらいです。
ピクサーの作品でこれぐらい圧倒されたのは「モンスターズ・インク」と「トイ・ストーリー3」以来ぐらいかも。
ホント素晴らしかった。


本編が終わって、エンドロールが流れて、お客さんが席を立ち、最後にボクも席を立ち、映画館を出てエレベーターに乗り、外に出てからも涙が止まりませんでした。

それぐらい上映中に嗚咽を堪えていたということ。

家でDVD観てるわけではないので、周りの人々の集中をそらしてしまうようなことは避けたい。
なので、幾度となく嗚咽しそうになっても、ただただ涙と鼻水を垂れ流しながら声が出ないよう堪えるわけ。
その押さえつけてた感情が、余韻と共にいつまでも収まらなかったということです。


吹替えキャストは今作でも抜群。
竹内結子も大竹しのぶもお見事でした。
そしてビンボンってアノ人(佐藤二朗)だったんですね。

キャラクターや舞台になる世界の設定、脚本の練られ度、細かい設定のディテール、後々に布石として効いてくる細かい前振りネタなど、お家芸とも言えるレベルの高い基本ベースは今作も健在。

一朝一夕で仕上げられるモノではないですからね。
圧倒的な才能が集結して、時間とお金を贅沢に使ってこそ仕上げられるモノです。

それだけのことが出来るのはディズニーというベースがあってこそだとは思いますが、お金や時間や才能だけではなく、ディズニーに息づく精神があってのことだと思います。


「盗作だ~」なんて一部のメディアが騒いでた「脳内ポイズンベリー」という作品があるように、感情を具現化して物語を紡ぐという方式は、新鮮でこそあれソコだけで作品が上物として完結するほどのプロットではないと思います。
下手すると難解になりかねません。

脳内世界の細かくワクワクさせられるディテールがあって、それぞれの感情の個性が際立ってて、そこから展開するストーリーは子供にもわかりやすく楽しめて、一緒に来た親のハートをガンガンに打つという。
さすがピクサーという設定の活かし具合でした。


もうビンボンのくだりなんて、ある程度の展開が読めてきてても涙腺は大崩壊ですよ。
忘れてしまうということの悲しさを否定的に提示しておいて、それは成長過程として大切なことなのだと肯定的に転ずる流れなんてお見事。

自分と照らし合わせウンウン唸って納得せざるを得ないのと同時に、自分の子供も同じように忘れていくのだという悲しさと、それが成長するということなのだと、喜ぶべきことなのだと自分をたしなめるジレンマで、ギュンギュンと胸が締め付けられる。
もう次から次に溢れてくる涙が渇く暇がありません。
鼻水なんて顎の下まで垂れ下がる始末です。


笑わせるところもしっかり笑わせてもらいました。

ライリー(主人公)以外の登場人物の頭の中の感情のやり取りは、スゴく良いアクセントになってます。
食卓を挟んだパパとママのやり取りのところとか最高だし、エンドロールのやつも面白かったですね。


一見ポジティブで圧倒的必要性を肯定的にとらえがちな「ヨロコビ」ですら「楽しけりゃいいじゃん」というKYで無責任な側面を覗かせ始め、「ヨロコビだけでは幸せになれないのではないか・・・」という疑問を抱かせつつ、その逆に何故に存在するのかさえ見えてこない「カナシミ」の存在意義が同時進行でフェードインしてくる。

ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、カナシミという5つの感情だけでは説明のつかない感情を伴う思い出、そして両親の前で全てを吐き出した時に、胸に抱かれながら涙を伴い溢れだした感情。

「カナシミ」をきっかけとして他の感情によって生まれる「ヨロコビ」とはまた別のポジティブな感情(成長)や、5つの感情それぞれ単独のバトンリレーだけでは、心豊かに生きるも成長することも出来ないという終盤の展開には、悲しく辛い時は視野が狭くなって気付かないかもしれないけど、そんな時こそすぐ近くにその感情を昇華してくれる人がいるかもしれないという、自分を取り巻く周りの人々とリンクすることによって豊かになるであろう自分自身の人生を照らし合わせて、ホント心が温かく満たされました。


もう大絶賛なんですが、唯一残念だったのが・・・
誰もが戸惑ったであろう、あの誰トクな本編前のドリカムPV流し。

いつから始まったのやら“日本版主題歌”という無理やりに定義されたシステム自体が苦手で、映画自体を純粋に楽しみたい気持ちを毎回削がれつつも、さすがに最近は慣れてスルー出来るようにはなりました。

それでも今回の作為的なPV流しはあまりにも・・・。

本編を楽しみにワクワクしながら映画館へ足を運んだ人々を戸惑わせ、アガってた気持ちを下げるという・・・日本のディズニーはどのような大人の事情があって、ああいうことをやってしまったんだろう・・・。

ドリカムのファンですら戸惑ったと思います。
怒りの矛先がドリカムに向くようなことも無くは無いと思うので、結局のところ誰も得しないんですよね。

批判は多かったでしょうから、以後二度とやらないとは思いますが、本国のディズニーがよくOKしましたね。